宇宙開発

宇宙開発に貢献


アメリカ流ロシア流宇宙開発


〜マメ知識編〜


これまで米ソは互いに競い合い、

宇宙開発の目覚ましい貢献をしてくれました。

ここでは視点を変え
アメリカ流ロシア流

宇宙開発をご紹介してゆきたいと思います。



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  これまで米ソは互いに競い合い、宇宙開発の目覚ましい貢献をしてくれました。

 ここでは視点を変えアメリカ流ロシア流宇宙開発をご紹介してゆきたいと思います.。

 まずはロケットの打ち上げです。
アメリカ流は皆様もご存じの様に、打ち上げ時

 刻に合わせカウントダウン開始、10・9・8・7・6・5・4・3・2・1・FIRE!

 発進となります
が、ロシア流では打ち上げ発射時刻になると何の予告もなしに行き

 成り発進それを何度も見学している人は、ふいにロケットの支えが外れると

 「来るぞ!」と叫ばれると轟音と共に発射されるのでした。
 またアメリカ流では

 悪天候や強風で容赦なく打ち上げ延期、機体にトラブルでもあろうものなら数か月の

 打ち上げ延期は覚悟です
。 

 一方ロシア流は天候お構えなし、打ち上げ定時には発射!機体のトラブルなどほとん

 どなし、それだけロシア流がロケットの宇宙開発部門でもリード。
 次にお話したい

 のは宇宙服での宇宙開発です。

  宇宙服メーカーは世界に2社
,NASAの宇宙服を開発

 するアメリカのハミルトン・スタンダード社
 そしてロシア宇宙服の設計・製造を

 一手に引き受けているのがズヴェズダ社です。
 アメリカ流の宇宙服は外見は洗練さ

 れてカッコイイ、着心地のよさや操縦性が追求されているが壊れやすい、言わば流快

 適主義。
 それとは対照的にロシア流の宇宙服開発は、とにもかくにも実用的で見た

 目もシンプル、そして壊れてもすぐ直せてしまうと言う優れもの、言わば全てをマニ

 ュアル化せずに経験を大切にするロシア流実質主義


 
 今まで私は宇宙旅行に旅立つのはアメリカと思い込んでいましたが、ロシアの方が

 経験を大切にし技術力にも人のぬくもりのようなものが感じられる様になって来まし

 た。 ロシアと言うと情報も少なく、どこかベールに隠されたと言うイメージがあり

 ましたが、私の夢を叶えてくれるのは、アメリカ流ではなく、ロシア流ではないかと

 思う昨今であります。



アメリカ VS ロシア 宇宙開発


 
 
1957年、ソビエトは、世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げました。1957年末、地球をまわる初の地球の生物となった犬ライカを乗せた、スプートニク2号が打ち上げられました。1960年8月19日、ソビエトの人工衛星スプートニク2号は、ベルカ(りす)とストレルカ(小さい矢)という名前の犬を乗せて打ち上げられ、無事地球へ戻ってきました。1961年には、初の宇宙船パイロットのユーリ・ガガーリンを乗せた、ボストーク1号が打ち上げられました。


 このソビエトの挑戦に対し、アメリカは宇宙計画を急速に進めることでこたえました。1961年5月5日、アラン・シェパードが、アメリカで最初の宇宙船のパイロットとなりました。この20日後、ジョン・F・ケネディ大統領は、国家的目標として1960年代末までにアメリカ人宇宙飛行士を月に着陸させることを宣言しました。



  1962年2月20日、米国航空宇宙局(NASA)はジョン・グレンが搭乗したフレンドシップ7号の打上げに成功し、目標達成の第一歩を踏み出しました。グレン宇宙飛行士は地球を3周しました。
1969年7月20日、アポロ11号の月着陸船イーグルに搭乗した船長ニール・アームストロングは、人類で初めて月面に第1歩をしるしました。 続いて、エドウィン・バズ・オルドリンが下り立ちました。この月面着陸は、宇宙飛行でソビエトに先を越されたアメリカの猛烈な努力の成果です。



 1963年6月、ソビエトは2機の宇宙船を打ち上げました。ワレリー・パイコフスキは5日間の宇宙飛行を達成して連続宇宙飛行距離の記録をうち立て、一方、ワレンチナ・テレシコワはボストーク6号に搭乗し、 女性として初の宇宙飛行を行ないました。1965年3月、アレクセイ・レオノフはヴォスホード2号を離れ、人類として始めて宇宙遊泳を行いました



 ソビエトでもアメリカでも、成功の後に悲劇が起こりました。1967年1月27日、演習の時にアポロ1号のコックピットが火事になり、エドワード・ホワイト、バージル・グリッソン、ロジャー・シャフィの3人の宇宙飛行士が亡くなりました同じ年、ソビエトでは、 宇宙飛行士ウラジミル・コロノフが、宇宙船ソユーズ1号の再突入の時に起こった衝突で亡くなりました。1971年、 ソユーズ11号に乗った宇宙飛行士のゲオルギ・ドブロボルスキ、ウラジスラフ・ボルコフ、ビクトル・パツァエフも再突入の時に亡くなっています。彼らは、ソビエト初の宇宙ステーション、サリュート1号に宇宙飛行士を送り届けて地球へ戻るところでした。


 アメリカは、 オービター、レンジャー、サーベイヤーのような無人探査機を打ち上げて、アポロ月着陸船の着陸出来そうな場所を探していました。1961年12月21日、フランクリン・ボーマン、ジェイムス・ラベル、ウィリアム・アンダースは、初めて月をまわる飛行に成功しました。アポロ9号と10号を使って、月着陸のテストが行われました。これが、アポロ11号の月着陸成功の道を開いたのです。
 アポロ12号も、月の着陸に成功しました。しかしアポロ13号は、月へ向かう途中の爆発事故のため計画は中止され、地球軌道への再突入は非常な困難を伴いました。アポロ14号は着陸に成功し43.5sの月の石と土のサンプルを地球に持ち帰りました。1971年7月30日、アポロ15号の宇宙飛行士は初めて移動車を使って月面を調査しました。
 アポロ16号も、多量の月の石と土のサンプルを持ち帰りました。最後のアポロ17号は、1972年12月7日に打ち上げられました。12日13時間51分のミッションの間に、合計22時間4分間月を探査するという、船外活動時間の最長記録を打ち立てました。  


 1971年から1982年の間に、ソビエトは合計7つの宇宙ステーションを軌道にのせました。1973年、アメリカも宇宙ステーション、スカイラブを打ち上げました。スカイラブは、長期間宇宙で生活や仕事ができるように設計されていました。宇宙ステーションは、宇宙飛行士の活動のサポート基地としても利用されます。1986年、ソ連は宇宙ステーション、ミールを打ち上げました。ミールはこれまでで最大の宇宙ステーションで、今もなお地球をまわっています。


 1981年、アメリカは最初の再利用可能な有人宇宙船、スペースシャトル・コロンビアを打ち上げました。パイロットはロバート・クレッペリン、船長はジョン・ヤングでした。1983年6月、サリー・ライドはスペースシャトル・チャレンジャーに搭乗し、アメリカの女性として初めて宇宙飛行を行ないました。 同じ年の8月ギオン・ブラフォードがアメリカ黒人女性として初めて宇宙へ行きました。
 1984年、スペースシャトル・チャレンジャーのミッションで、キャスリン・サリバンがアメリカ人女性として初めて宇宙遊泳を行いました。1986年、 スペースシャトル・コロンビアで、フランクリン・チャン・ディアスがヒスパニック系アメリカ人として初めて宇宙飛行を行いました。



 残念なことに、アメリカの宇宙計画は1986年再び悲劇に見舞われました。1月28日は、25回目のスペースシャトル打上げの日でした。打上げの73秒後、チャレンジャーが爆発したのです。この爆発事故で、 教師として初めて宇宙へ行くクリスタ・マコーリフを含む、6人の宇宙飛行士が全員が亡くなりました。日系の鬼塚宇宙飛行士もこの事故の犠牲になりました。

 1992年に打ち上げられたエンデバーは、非常にユニークなクルーが搭乗していました。初めて宇宙へ行くことになったアフリカ系アメリカ女性メイ・ジェミスン、マーク・リーとジャン・ディビス夫妻、それに日本人初の宇宙飛行士毛利衛さんもクルーの一員でした。


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